集団的自衛権と日本国憲法について

私は憲法の専門家ではないため、憲法に関しては素人に毛が生えた程度にしか理解していない。それゆえ、本記事も解説や分析というより、私自身の疑問を書くことになると思う。

そもそも自衛戦争とは

誤解の多い点だが、そもそも国際社会でも侵略戦争は禁止されている。国連の加盟国は国際紛争を交渉や司法などの平和的外交手段によって解決することが義務付けられている。つまり、現在の国連成立後の戦争はすべて「一応は」自衛戦争の建前を持った戦争である。もちろん、それは戦争を始めた国の言い分であって、イラク戦争のように国際社会の多くがその正当性について疑いを持っている戦争もある。というか、イラク戦争に関しては米国内ですらアレは正当な戦争ではなかったという主張がよくなされる。にもかかわらず、「平和主義」を掲げながらあの戦争に加担した日本の国内ではあまりそういう議論を聞かないのは不思議な事だ。
いずれにせよ、現代の「戦争」(地域紛争への武力介入などはまた扱いが微妙なので除く)は基本的に自衛戦争である。

集団的自衛権とは

集団的自衛権がどういうものかについては、芦部先生の言葉を借りよう「自衛権には、個別的自衛権国連憲章で新しく認められた集団的自衛権の二つがあるが、後者は、他国に対する武力攻撃を、自国の実体的権利が侵されなくても、平和と安全に関する一般利益に基づいて援助するために防衛行動をとる権利であり、日本国憲法の下では認められない。日米安保条約の定める相互防衛の体制も、日本の個別的自衛権の範囲内のものだ、と政府は説いてきている。(芦部,2011,p.60)*1
自分の国が実際に脅威に晒されていなくても同盟国等が自衛権を発動するときにはその脅威に対して共同で対処できる権利である。今回解釈改憲の対象とされようとしているのはここだ。

何が問題になると思われるか

ここからは、私の疑問である。もしかするととっくに言われていることかもしれないし、既に答えの出ている問題かも知れないが、ご容赦願いたい。また、それ以前の問題として解釈改憲集団的自衛権を容認することは無理であり、また外交的な意味でもマイナス面しかないというのが私の立場であるが、それを踏まえた上での疑問であると言うこともご理解願いたい。
先程述べたとおり、現代の国際社会における戦争は程度の差こそあれすべて自衛の目的をもって行われる戦争である。しかし、その自衛の程度については各国間でかなり大きな開きがある。そして、おそらくその差が最も大きいと思われるのが日本の自衛基準と米国の自衛基準である。
まず、アメリカという国がどれだけ他国の戦争に首を突っ込む国かはもはや常識のレベルであろう。イラク戦争にしても、かなり強引な「自衛」の建前のもと武力攻撃に踏み切った。一般的に自衛権行使には必要性・違法性・均衡性の三要件が必要であるとされるが、ここに関してもかなり適当な国であると言わざるを得まい。
対して、日本の自衛権行使の基準は非常に厳格である。いまだにミサイルが実際に着弾してからでないと自衛権を行使できないのか、それともほぼ確実に当たるとわかった時点で自衛権を行使できるのかというレベルで議論がなされている国であるから、その厳しさは他国の比ではない。
二国間の自衛権行使基準の差を際立たせるものとして、先制的自衛の可否がある。アメリカの理解では、自衛権の行使に必要な「武力攻撃」とは、武力攻撃の脅威で足り、それが認められさえすれば自衛権を発動して良いとしている。イラク核兵器を製造しているという理由でイラクに攻め込むことが出来たのはそれが理由である。(結局イエローケーキは存在しなかったわけだが)対して、先程述べたとおり、日本は現実に武力攻撃が発生しなければ自衛権は発動できない。実際に実害を被らないと反撃できないとする見解もあるくらいである。
となると、問題となるのはこの二国における集団的自衛権の際、どちらの理解で集団的自衛権は発動されるのかということである。

パターン1 日本の自衛基準における集団的自衛権行使

アメリカに対する武力攻撃の脅威に対しても、実際に武力攻撃がなされなければ集団的自衛権は行使できないと解する。
これは比較的平和的な方の集団的自衛権解釈である。日本の基準に基づき、実際にアメリカが武力攻撃されたら日本もアメリカと共同して防衛をするということになる。もちろんこれですら現在の憲法の規定からすると不可能に近い読み方であるし、ないによりこうやって少しづつ自衛権の範囲をちまちま広げようとするのは卑怯であるとも言えるだろう。また、アメリカが先制的自衛権を発動し、それにたいする防衛行動として相手国がアメリカの基地を攻撃する等した場合には日本は集団的自衛権を発動するのかどうかといった問題はなお残る。

パターン2 米国の自衛基準における集団的自衛権行使

アメリカへの武力攻撃の脅威に対しては、アメリカが脅威を認め、自国の自衛権を発動した時点で日本も集団的自衛権を発動できると解する。
これはかなり危険である。先程述べたとおり、基本的にすべての戦争は「自衛戦争」であるため、アメリカの戦争のほとんどに日本は集団的自衛権を発動する可能性を持つことになってしまう。また、アメリカが日本への脅威に対して集団的自衛権を発動するのは日本の基準に基づくことになるため、日本は自国に対する自衛権よりも米国に対する自衛権の方が広く認められるというおかしな自体になる。その先に待っているのは、間違いなく個別的自衛権の基準の見直しであろう。そこまでくると、9条は実質的な意味を完全に失うことになる。

と、ここまでが私が抱いた疑問である。
そもそも論として日本と同じくらい平和的な国と「万が一の時のために」相互防衛協定を結ぶならまだしも、世界の喧嘩屋のために集団的自衛権を認めるメリットがおよそ日本にあるのかなど、疑問は絶えないがとりあえずはここまでにしておこう。

*1:芦部信喜憲法(第5版・20011・岩波書店