ポリティカル・コレクトネスと不謹慎の狭間

Remus passed away during an important civic function held in his honor when the platform upon which he was standing collapsed.
レムスは彼自身の名誉に関わる重要な市民の義務を果たす最中に立っていた台が崩れて他界した。

さて、これは一体なんのことを言っているのか分かるだろうか。ブラックユーモアに聡い読者諸賢の中にはお分かりの方もいらっしゃるかもしれないが、これはポリティカル・コレクトネス運動のなかでの「政治的に正しい」絞首刑の表現の仕方である。
例え重大犯罪の罪を問われ絞首刑に処せられたとしても、その親族に罪はない。よってその言い方に差別的なニュアンスが含まれてはならない…と、冗談はさておき、近年不謹慎、不道徳を理由にした言葉狩りが横行している。また、3月11日の震災以降、あらゆる表現手段において、不謹慎という摩訶不思議な制約がかかっているように思える。

不謹慎な表現で、傷つくのは一体誰か。もちろん、盲目の人に対して面と向かって〇〇〇などと言えば、それは相手を深く傷つける事になるかもしれない。しかし、言葉の成り立ちとして差別的な源流を持つ言葉ならまだしも、まず言葉ありき、その後で差別的ニュアンスが追加された言葉を言い換えた所で、その差別的な社会的背景を変えなければなんの意味もない。

さらに言えば、震災の直後バラエティ等の番組を行うことを各テレビ局が自粛していた時期があった。こんなものは単に批判回避のための方便でしかなく、相手を思いやる気持ちなど一切含まれない気遣いである。

少し文章が堅苦しくクソマジメになってしまったので、最後はこんなジョークで締めくくろう。
ポリティカル・コレクトネスの運動の流れで、日本の漫画がタイトルの変更を余儀なくされた。変更後の名前は「釣りマニア三平」
これはちょっと締まりが悪いですね。

今日の本は、あえて理科教育のアブナイ、アヤシイ部分に踏み込んだ名シリーズ「アリエナイ理科の教科書」の最新作である。トンデモ本のようでありながら実はかなり理科の勉強になる部分も含まれているので、一読の価値はあるだろう。