刑法学者の脳内事件簿 解決編 その1

ケース1は、法に基づく適正手続、「デュープロセス」に反する事案である。
日本国の憲法においては、三十一条の「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」として規定されている。これにより、何十人も惨殺した死刑確実な凶悪犯罪者が大怪我をして病院に運ばれてきても、国民の税金から医療費を出して治療しなければならないし、死刑判決が確定した死刑囚が盲腸になって、死刑執行が二週間後に迫っていても、治療しなければならない。なぜなら、刑法の十一条一項において、「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。」と明記されているからである。
この絞首刑という執行方法について、残虐な刑罰に当たるかどうかという裁判がつい最近行われたので、次の機会にでも触れたいと思う。

ケース2は、行為概念における条件関係が問題となる。
一般的に条件関係は「一定の先行事実がなかったなら、一定の後行事実はなかったであろう」という関係であると説明がされる。*1また、その公式においては、「その行為がなかったとしたら生じたであろう他の事実によってやはり結果が発生したであろう」という場合であっても、行為と結果の間の条件関係を認定する。つまり、「いずれにせよその結果は発生したであろう」という場合にあっても、条件関係を否定してはならない。
ただし、この事案における遺族がボタンを押すタイミングと、刑務官がボタンを押すタイミングがほぼ同時で、どちらが押したか判断が出来ない場合には、「疑わしきは被告人の利益に」の原則により、遺族は殺人未遂となる。

と、一応の解説と解答をしてみたが、脚注にも書いたとおり、刑法学にも様々な説があり、その説によっては結論が違ったり、その結論の導き方が異なる場合がある。むしろ、このような極論的な状況を想定し、それにたいして合理的な説明をするのが刑法学の一つの目的なのである。

*1:この説明における条件関係は、多数説である仮定的取り去り公式と呼ばれるものだが、「行為をなせば結果を生じさせうる」という説明をする合法則的条件公式と呼ばれるものもある。